カワウソおきば

カワウソのものおき。

新作ゲームが出るしインターネットが嫌いだ

 おれはインターネットが大好きだ!

 

 実のところおれはインターネットが大嫌いだ。

 インターネットに頭のてっぺんまで浸かるようになり、博識になったとは言わなくとも確実に以前の自分より知識が増えたことだろう。インターネットにはたくさんの文化やらコンテンツやらが大河のごとく流れている。

 

 そんなインターネットはただいま大わらわだ。ワニは死ぬしハーレイ・クインは公開されるし伝染病が流行って人々は島流し。ドクタードリトルは公開延期だ。

 正直なところハーレイ・クインだけそこまで話題になっていないように感じるが、多分公開前だからだろう。公開されたらもっと話題になるに違いない。

 

 そんなことはどうでもいい。ハーレイ・クインはワニを殺さないしドリトル先生は医者なのにウイルスの影響で公開延期した。ドリトル先生は獣医だし、ウイルスは人間の間で流行っている。ドリトル先生は船で旅をするし、今はどこの国も船を受け入れてくれない。

 それよりも問題は「人々は島流し」の部分。どうぶつの森の新作が出る。誰しもが待ち焦がれたあのビッグタイトルの最新作が。おれがインターネットを嫌いな原因がほぼこれに対する人間に集約されていると言っても過言ではない。よく考えればハーレイ・クインも軽く関わってくる。

 というのも、おれが嫌いなインターネットというのはほぼ「ゲームの新作情報が出た時」「ゲームの新作が出た時」「話題の新作映画が公開された時」なのだ。どうぶつの森は新作ゲームだし、ハーレイ・クインは新作映画だ。

 ここからは具体的に何が嫌なのか挙げていこう。挙げるだけで好きになるために策を講じたりなどは全くしない。インターネットは嫌なら見なければよいのだ。おれは嫌なときインターネットを見ない。

 

・最新情報がリアルタイムで得られる

 いやメリットだろ。これはおれの感覚がおかしいだけかもしれない。

 おれは小さい頃からコロコロコミックが一番の最新情報ソースで、次の日学校に行って「コロコロの新情報みた!?」と聞くまで友達の誰もが情報を得ているのに情報を得ていない、言うなればシュレディンガーの新作ソフトで新ポケモンカービィ新要素だった。

 すなわちおれが一番最初に情報を手に入れていた。あの頃はそう思っていた。

 ただインターネットは違う。本当に誰でもリアルタイムで最新情報を得られて、Twitterでその話題をシェアする。確実に他の人が最新の情報を同じタイミングで得ているのだ!

 小学生の頃は自分が最先端だと思い込めていたゲーム最新ソフト情報も、世界が広いことを半端に認識した今となっては横に並ぶ任天堂だいすきマンのうち一つにすぎなくなってしまっている。

 心が狭いなどと思われても、性分に至っては仕方ない。おれは一番じゃなくなり、ちょっとだけ不機嫌になった。

 

・新作が出るとTwitterが楽しそう

 うるせえ!!!!!!!!おれが落ち着く前におれの知らない遊び方で楽しむんじゃねえ!!!!!!!

 楽しみにしていたゲームの新作が出るとTwitterを封じるのはこれに尽きる。このダウンロード社会で24時になったらすぐ遊べるダウンロード版オタクに比べてゲームショップ及び電気屋の開店時間までゲームができない物品大好き♡パッケージ版オタクはどうしてもアクセルの遅れをとってしまう。

 自分のアクセルに遅れが生じている中、他の人間はこぞって「楽しい!楽しい!」と遊ぶ。

ポケモン新作の時もこれだった。ポケモン新作が発売された際、おれはこれを避けるために発売された24時かっきりからTwitterとdiscordを封じた。正直この2つがインターネット娯楽の半分以上を占めていたおれは行き場をなくし「YouTubeでも見るかあ」と思い開く。そうしたらポケモン新作実況配信者のなんと多いこと多いこと!あなや、YouTubeは逃げ場にはならず!バチンと音が出そうな素晴らしい勢いでYouTubeを閉じた。

 そうしてようやっと本腰を据えてポケモンをしよう!となっても電気屋から帰ってくるのは大抵午前11時、日付が変わった時からやっていたオタクからすれば11時間以上差をつけられている。

 自分より先に楽しんでいるやつを見たくない。おれはおれの中だけでは一番最初に楽しんでいるし、誰よりも楽しんでいるのだ!現実としてそれが見えるインターネットが嫌いなのだ。

 

・主観が混ざる

 これはあまりゲームとは関係ない。どちらかと言えば新作映画に関わってくる事だ。

 おれはネタバレなしの感想がメチャメチャメチャメチャ大嫌いだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!

 当ブログでは基本的にネタバレありの感想しか書いていない。

 名探偵ピカチュウの感想だけネタバレなしで書いてるけど、それだってトレーラーありきな上にほぼトレーラーの感想と言っても通じる薄っぺらさだ。

 おれは実のところ、最終的なオチとそれに繋がる描写さえバラされていなければある程度のネタバレは受け入れることができる。最新作映画はさすがに度し難いものがあるが、初見の旧作を見る際に「ああ、あの○○やつね」と言われるのはまあ大丈夫だ。

 元々小学生時代から青い鳥文庫の黒魔女さんが通る!やはやみねかおるの本を図書室で読み漁っていた身としては、裏表紙にあらすじが書いてあるのは当たり前なのだ。あれも広義でいえばネタバレにあたるのだろう。

 なぜネタバレが多少受け入れられるのかといえば、「事実だけ述べているから」だろうと思う。対しネタバレなしの感想は大抵の場合、「こわい!」「どんでん返しがすごい!」「何も言わず見てくれ」に集約される。「主観だけ述べている」のだ。

 おれは変に他人様の主観が入った状態で映画を観たくない。他人様の主観はいつだっておれにいらんくらいオーバーな思考を与えてくれる。「○○なんだろうなあ!」と脳が求めるものを過剰に大きくする。

 世界一美味い食べ物がラーメンだと思っているような奴だって、目隠しされた状態で「マジで間違いない!マジで世界一美味い食べ物用意したから!騙されたと思って一回食ってくれ!」と言われて連れてこられてから目隠しを外したら目の前にラーメンがあった、そんなことになれば「はァ」となるだろう。

 おれは「カメラを止めるな!」の際に「後半のどんでん返しがすごい!」と言われていてワックワクしながら見に行ったにも関わらず、序盤で「これゾンビ映画撮ってるんだろうな。撮影終わったら最後にどんでん返しあるのかな」などと思っていた。実のところ「これは全て撮影されたゾンビ映画の劇中劇だ」というのが大どんでん返しのあらましであり、おれの「ここから更にどんでん返しがあるんやろなあ」は果たされず終わってしまった。フラットな状態で観れたならもっとちゃんと楽しめただろうに。

 以来、期待値が高い作品はなるべく迷わずに公開日に観に行くようになった。観に行くか迷っているうちにTwitterで作品が過剰に褒めそやされるとカメラを止めるな!と同じ轍を踏むことになるからだ。

 もちろん「これは個人的に超楽しみ!迷う暇もなく絶対に観に行きたい!」という作品は公開日に観に行っている。これに関しては夏休みの宿題と同じだ。腰が重いなどと言っているうちに「面白いから観に行った方がいいよ」などと言われるとわかってらィ!!!!!!!!!今から観に行こうと思ってたんだョ!!!!!!!!!!という具合になってしまう。これは大変によろしくない。下手な場合になるとそれこそ夏休みの宿題が如く「あーァ、完全に観に行く気なくしちゃったわァ」などとなりかねない。そんなしょうもない理由で名作を逃してたまるか。

 案の定、おれが直近で「これは絶対に観たい!!!」と思って公開当日に観に行った映画はその後割と早い段階から「実質痛快TVスカッとジャパン」「お祭り男宮川」「上田と山田のいないTRICK」など親しみのある表現で擦られまくってしまうことになった。あの気持ち悪さを親しみのある表現に落とし込むなよ。

 ともあれこれはかなりのインターネット・擦り具合だったのでまさに夏休みの宿題になる前に公開初日に観に行ってよかったなあとしきりに思う限りだ。

 

 

 おおむねこの3つ。インターネットは楽しいが、見る場所見る時見る人によっては非常に不愉快になる。そういう点で言えば喫煙可の居酒屋と全く同じだ。

 嫌なときはインターネットに立ち入らないようにしよう。

 

 それでは。